「ジョーカー」

 10月26日、TOHOシネマズはませんにて「JOKER」を観ました。
公開は10月4日だったのですが、予約の座席数をちらちらサイトから覗くと結構な数でしたのでそれを避け、少なくなったところで出かけた次第です。
 出演、ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、
 監督、トッド・フェリップス。


ヒーローの実写化だけでなく、最近はヴィラン(悪役)を主人公に据えた作品が作られるようになったのは、単に”悪の魅力”というだけではないのでしょう。
 バットマンのジョーカーといえばあまりに有名な悪役でこれまでもいろんな俳優さんがその作品に応じたジョーカーを演じており、本作はいわば”ジョーカー・ビギンズ”といった話なのですが、本作の彼はいままのキャラクタとは大きく違っています。
 
 ”ジョーカー”というと”悪のカリスマ”といった見方がこれまでだったかもしれませんが、本作では”無秩序のインフルエンサー”という風に感じました。彼は他人を支配するのでは無く、何かしらで保たれていた緊張・秩序を壊すきっかけになってしまう人物ということです。

 
 これまでの作品でもこのジョーカーの特異性は描かれているのですが、本作はより深く、この映画を観る者の心の奥底にある漠然とした不安を揺り起こそうとします。
それはこの映画を体験していく上でいくつもの謎(複数の解釈が成り立つ謎)が解明されないままにエンディングを迎えることにもいえます。
(ところで、何故かこの映画のエンドロールは、昔の映画のそれに似ています)


 オープニングで彼・アーサー(後のジョーカー)の精神の不安定さを見せられます。
鏡に向かいピエロのメイクをしつつ、何故か涙が一筋流れたり、場違いな所で突然笑い出してしまい、そのために彼はカウンセリングを受け、毎日薬を飲んでいます。
この彼の笑い声なのですが、一体笑っているのかそれとも泣いているのか、判別しづらいものです。
彼は孤独で、家では母親を介護して生活しています。その母は、過去に家政婦をしていた資産家へ度々援助の手紙を出しているのですが返事はありません。

 その街・ゴッサムは超格差社会を体現したような所で、清掃員のストライキでネズミの大量発生のニュースが連日報じられています。地下鉄は落書きだらけです。そして財政難から社会福祉予算が削られていくという状況で、アーサーの通院も打ち切りとなります。
ですが一方映画館ではチャップリンの「モダンタイムス」に笑いに興じる裕福層がいます。
街の有力者のトマス・ウエインが市長選へのニュースが報じられたりもしていますが、貧困層の人々にはその声はあまり影響ありません。
(物語後半この客席の中にアーサーが周囲を見回すシーンが印象的です)
  
 アーサーは孤独ですが、コメディ芸人を憧れて、必死にそのスキルを学ぼうとノートに記録したりしていますが、彼の笑うポイントは常に他の客達とずれています。
 そして好きなテレビ番組「マレー・フランクリン・ショー」の司会者マレーに父への憧憬にも似た感情を抱いています。その番組は毎回ゲストを招くトークショーなのですが、その舞台へそしてその司会者にハグされることを望んでいます。

 あるとき彼は病院内でのピエロショーで拳銃を子供達の前で落としてしまい、会社を首になってしまいます。銃は同僚からを護身用にもらったこと、その理由はストリートギャングから襲われたこと、アーサーはそのことをうまく上司に伝えることが出来ません。
 その帰り地下鉄で、彼の精神の不安定さは暴走し始めます。車内で女性客にちょっかいを出す背広男三人に対して、ピエロメイクのままの彼は笑いだし、その所為でその背広男の矛先はアーサーに向けられます。
 きっかけは偶発だったのかもしれませんがアーサーは男一人を射殺します。そして逃げる男もさえも追いかけて射殺するのです。そしてアパートへ帰った彼は同じフロアの女性の部屋へと_。
(このあたりからアーサーの視点は、現実・非現実の境が曖昧になってきます。)

 マスコミはこの地下鉄射殺事件を、貧困層が裕福層へ反逆によるものと報道し、ピエロメイクした者があちこちにあふれその影響が徐々に広がりつつあります。
ですがアーサーにはその関心がありません。むしろその容疑で刑事がアーサーの母に尋問した結果、ショックで母親が病院に担ぎ込まれるという事態になります。
 アーサーは母の手紙(援助の手紙)から母の元奉公先の主人トマス・ウエインとの間に子供が出来ていたこと、身分違いのためにこういう境遇である事が書かれています。自分はトマスの子ではないか? 
 彼はウエインの屋敷へ赴きますが門前払いをされます。意を決しトマス・ウエインに直接会うのですが、そこで衝撃的な事実を聞かされます。
 そんなとき彼に「マレー・フランクリン・ショー」への出演依頼がきます。


 彼の自宅での振る舞いに一寸違和感を覚えるシーンがあります。それは半裸の状態で拳銃を素早く構える仕草なのですが、何故かその銃身の先はいつも母親が座っているいすに向けられています。
(この辺、「タクシー・ドライバー」にも似たようなシーンがあったかと)
 「マレー・フランクリン・ショー」への登場を自室で何度も練習する様子も、何かの予行演習のようです。

 「マレー・フランクリン・ショー」は大惨事となり、テレビ放送は中断、アーサーは逮捕されますが護送中にパトカーが横転する事態に。テレビショー内だけではなく、ゴッサムの街がピエロの仮面を被った集団の破壊活動にあふれていました。
 その暴動のなか、ウエイン夫妻は殺害され、たったひとり少年が生き残ります。
 父のようにあがめていた者を殺害し、母も殺害し、そして恋人が妄想であると気づきアーサーは明らかに何かに目覚めたかのようです。


 ラスト、どうやら精神病院らしいところでアーサーはカウンセラーと対面しています。
そして次のシーンでは廊下に真っ赤な足跡の残しながら歩いています。
勿論その赤はカウンセラーを殺害したその結果のものなのでしょう。

 物語後半、シャッフルのようにアーサーの視点が実は妄想をはらんでいた事がわかります。
そうなるといったいこの作品のどこからどこまでが虚実であるのか、観る者を混乱させます。
 狂人となってしまった男の妄想全てなのか、それともこの男を引き金に外の世界(ゴッサム)は混沌と化したものになってしまっているのか・・・。

 この作品は(バットマンの)ジョーカーでなくともとても社会性のあるものに思えました。





 
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