「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士達」 煉獄篇

5月26日、TOHOシネマズ光の森にて「宇宙戦艦ヤマト 2202 愛の戦士達 煉獄篇」を鑑賞。
 監督、羽原信義、脚本、福井晴敏、
 CV、小野大輔、山寺宏一。

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 所謂リメイクヤマトの第二弾である「愛の戦士達」を全7部構成でリメイクしたものです。
オリジナルは1978年に公開されているもので当時私は小学生だったので映画館にまで出かけていくことは無く、後年テレビシリーズ(映画版とは少し異なる展開のヤマト2)を観たことはあります。(だいぶ後年になってレンタルビデオでこの「愛の戦士達」も観ましたがそのときはすでにヤマト人気はだいぶ下降していたことを覚えています。

 リメイクヤマトは第一弾の「2199」がものすごく良かっただけにその第二弾ではちょっと不安を覚えていましたが「2202」の第一話を観たときにはその不安も杞憂だったかなと_。

ただその後続く展開に時々 ? を覚えることもあって、なんか変な方向に進んで言ってるなぁとか、ガトランティス、て”マクロスのゼントラーディ”なのか?とか疑問におもったり、人間の感情こそが不要なものという台詞に前作「2199」ででてきたガトランティスのイメージとはちょっと異なるなぁとか、思うことがしばしば。

 それで本作「煉獄篇」でやっと面白くなってきたなぁ
というのが第一印象です。

 冒頭にヤマトクルーとテレサの前に出現したデスラーの過去の話が語られます。
 それは単なる独裁者ではなく、幼少の頃に知ったガミラスの真実、そして所謂「できすぎる兄」を持ち、そのことで周囲もそして母親の視線も自分には向けられていないと心に傷を持ってしまい、指導者に祭り上げられてしまった苦悩が_。
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 そしてそのことをデスラーの脳裏に再現させたテレサという高次元の存在は、映画「メッセージ」(ドゥニ・ヴェルヌーヴ監督)のヘプタボッドを連想します。
はるか過去、遠い未来をも見通せる能力をもつ高次元の存在という設定に。


 観終わって初めて気づいた事はガトランティス側には女性キャラはサーベラー独りしかいないということです。
前作にしろ、”戦記物”としてみたときについ男性ばかりが画面に出てくる事に違和感が無かったせいもありますが、少人数ながらも地球人側、ガミラス側にも女性キャラの登場があったのだけれど、ガトランティス=ゼントラーディとみたとき、サーベラーが単にガトランティスの”お偉い方”でなくて、劇中に唯一無二の存在といわれる別の意味にも気づくことが出来ます。
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 クローニングによってガトランティス人が生まれるシーンがあるですけれど。ガトランティスのズォーダー大帝は何故赤ん坊を取り上げた者たちには笑みが生ずるのかと疑問に思います。それに応える者も明確に答えることが出来ません。
 そしてサーベラーにも時折過去の記憶がフラッシュバックのようによぎります。それは自らが赤ん坊を愛おしく抱いている様。
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 ガトランティスのズォーダー大帝は何度か「愛を知る者」と自らを称し愛を知るからこそ、古代達ヤマトクルーに試練を与えたりしています。
それは”愛”が非常に感情的なものであり時として人を狂わせる事があると論理的に知っているからです。
 その”愛”は人を狂わしてしまう事が本作のラストで再現されます。

 この「ヤマト2202」の第一話でヤマトクルーで戦闘機隊長の加藤には重い病を患った幼子がいることが語られますがその子を救うためにある決断をしてしまいます。それはズォーダー大帝とサーベラーの思惑通りに見えます。

次回作も期待大です。

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