映画な日常

アクセスカウンタ

zoom RSS 「スパイダーマン・ホームカミング」_垣間見る大人の顔

<<   作成日時 : 2017/08/28 00:13   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 8/11日TOHOシネマズ光の森にて「スパイダーマン・ホームカミング」を観る。
 出演、トム・ホランド、監督、ジョン・ワッツ。


画像

 マーベルコミックのヒーロー、スパイダーマンは2002年にトビー・マグワイア主演の三部作(〜2007年)、
2012年にリブートされたアメージング・スパイダーマン(〜2014年)があって、そして再びのリブートが本作になるのだけれど正確には2016年の「キャプテンアメリカ・シビルウォー」でゲスト出演後の最初の作品がこの「ホームカミング」。

 映画だけで2002年から3回もリブートするなんて、又かと思いがちなのだけれど、そこはハリウッドのすごいところで前作とはすっかり赴きの異なるのがこの作品。

 ”ホームカミング”とは帰省、帰郷の他に学校の卒業生が在校生等とともに学内で同窓会のことも指すらしい。
そこには多分、OBが在校生に社会人として自らが変わったことを教える場でもあるかもしれないが、社会を知らない未熟だった自分を思い出す日なのかもしれない。
(まぁ実際はパーティなのだろうけど)
 
 本作では悪の組織、テロリストはでてこない。巨大企業の私利私欲による凶悪な兵器も、その犠牲になり怪物となる者も出てこない。
 その代わりに描かれるのは大人の二面性に直面する若者の姿だ。
画像

 子供が大人のもう一つの顔を知るのはどんな時だろう。
授業参観、学校行事etcでみた友達の親の印象は”やさしそう”、”こわそう”、どんな顔であってもそこには子の親としての顔があってそれを子供は感じ取っている。大人とはこう言うものだと。
 でも大人には別の顔がある。家族には見せない顔が。
その顔に対面し、感じた時が子供が大人への扉をたたいた瞬間なのかもしれない。

 ”ホームカミング”のピーターは15歳の高校生で始終スマホを触っていたりと今時の子で、家ではメイ伯母さんと二人暮らし。
 家庭には父性的なものが不在なのだけれど、それを補完するものとしてトニー・スターク(アイアンマン)とバルチャー(本作での敵対関係に当たる人物)がピーターの父性的な存在として描かれる。
画像

 中盤、トニー・スタークはピーターの暴走を諫める。
それは力をもった若者の特権かもしれないが、「地に足をつけて行動すること」と念を押すスタークに、ピーターは「スパイダースーツがないと無理」と返す。その言葉に「スーツがなければ無理だという者にスーツを持つ資格がない」とスタークは諫める。

 一方のバルチャー(エイドリアン・トゥームス)は元は廃品回収業社の経営者でしかなく、家族社員の生活のためと割り切る男だ。戦争で金儲けしているのは誰だ?その尻ぬぐいをしているだけだとトニー・スタークやアベンジャーズを暗に非難する。

 良き父としてのスターク、その反面としてのバルチャーにピーターの成長が見て取れるのがラスト、スタークの前に連れてこられたときののピーターの台詞。

画像


 そしてもう一つ、刑務所内でスパイダーマンの正体を知ってるか?という問に対するバルチャーは答えをはぐらかす。その顔は父性としての悪しき面を捨てた者にも見える。それは若きピーターの行動に感化されてのものなのかもしれない。





画像


 バルチャー役が映画の初代バットマンや「バードマン」のマイケル・キートンという配役にもちょっと感動。

 面白いです。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
「スパイダーマン・ホームカミング」_垣間見る大人の顔 映画な日常/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる